昭和59年に復活した人工の渓谷。大小の自然石を組み合わせた岩場と周囲の樹林とを取り合わせた景観は、深山幽谷を想わせ、高さ10mの岩場から落下する 滝は壮観です。その名のとおり、この谷の一帯には、モミジが植えられていて、秋はいっそう風情があります。また、流れの中ほどの橋のたもとには、高さ 25m、幹回り380cmのケヤキの大木があります。
前方後円墳で、東京都指定史跡です。全長110m、後円部径約64m、くびれ部分の幅22mという都内では最大級の規模。芝公園自体が標高16mの台地上にあり、古墳はさらに高く土が盛られているので、頂上からの眺望は一段と広くなっています。
古墳の上や麓にはソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラなど全体で約200本余りのサクラがあり、花の時期には花見客で賑わいます。また、古墳の麓には約70本の梅林があり、早春には清楚な花とかぐわしい香りで訪れる人々を楽しませます。
伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であった関係で東京地学協会がその功績を顕彰して遺功表を建てました。明治22年に高さ8.58mの青銅製の角柱型のものが設置されましたが、戦災で失われたため、昭和40年に現在のものが再建されました。
昭和38年6月調理師法施行5周年にあたって、長年調理師会の名誉会長として尽力した政治家大野伴睦の労に謝するため贈呈されたものです。
もと新宿角筈にあって江戸時代から銀世界と称せられていた梅林を明治41~42年ごろ芝公園に移植したその標示碑です。元来17号地グランドの西にありましたが、道路拡張に伴い、昭和41年に現在地に移されました。
3人の男の子を太平洋戦争で失った田沢鐐二翁の発願により、全国小・中学生が廃品を回収し、こづかいを節約して出し合った費用を中心に建設しました。毎年8月15日に清掃とこども平和まつりを同時に行っています。
昭和28年7月20日の日本開国百年記念祭挙行のとき、東京都民からニューポート市に石灯籠1基を贈りました。
その答礼として贈られたのがこの像です。